設立への歩み
1976年 4月 | 「ひびき共同作業所設立準備会」発足 |
1986年 4月 | 支援団体「ひびきを支える会」発足。 |
1986年 4月 | 姫路市保城に無認可福祉作業所『ひびき共同作業所』開所 |
1988年10月 | 姫路市城北新町に移転、同時に同所にて自然食品のお店「まいど」 開店 |
1994年 4月 | 姫路市北平野南町にいずれも移転 |
2001年10月 | 姫路市飾東町圧に移転 |
2003年 3月 | 社会福祉法人ひびき福祉会設立認可 |
4月 | 身体障がい者通所受産施設「ひびき共同作業所」開所 |
5月 | 居宅介護事業「あっとほ~む」事業開所 |
11月 | 身体障害者デイサービス事業「ほっと風船」開設 |
2006年10月 | 「ほっと風船」が生活介護事業に移行 |
2008年 4月 | 「ひびき共同作業所」が就労継続支援B型へ移行、 同時に生活介護事業と合体して多機能型事業所「ひびきdeほっと」になる |
2013年 4月 | 相談支援事業所「ひびきdeあい」開設 |
2015年 4月 | 姫路市花田町の県営住宅にて グループホーム「ひびきdeほ~む」開所 |
2015年 11月 | 「あっとほ~む」が介護保険の指定認可を受ける。 |
ひびき福祉会の歴史
1986年姫路保城で、多くの介護者を募り、一人暮らしをする身体障がいのある
人がありました。その人の自宅を昼間開放してもらって、障がいにより家から出られ
ない人の居場所にし、ひびき共同作業所がスタートしました。その後独立した場所と
職員を得て、身体、知的障がいのある人々の出会いと暮しの場が確保されました。
そんな中で地域で一人暮らしをする自立障がい者が何人も誕生しました。その人たち
の生活を支える介護者は、すべて人のつながりの中でその人たちが探し出したボラン
ティアでした。その介護者たちは誰もが地域で共に生きたいという願いを持ってひび
きを支えるネットワークでもありました。
仕事としては自然食品のお店「まいど」を
開き、市内の保育所のおやつや、牛乳、卵の定期配達、バザーや夏冬の売り出しなど
で、わずかですがメンバーの給料も出せるようになりました。
メンバーが増え、それにあわせ引越す必要が出てきて、そのたびに地域が変わって
しまい、自分たちの場所がほしいと願いました。
2001年多くの人の協力を得て、
姫路飾東町庄に念願の場所を購入、それによって、2003年、作業所の授産事業、
デイサービス、介護派遣事業を展開する社会福祉法人ひびき福社会をたちあげることとなりました。その後制度の改変があり、現在の事業形態となっています。
ひびきができる当時、障がいある子を抱え込み、老境にさしかかった親御さんが、
介護に疲れたり、自分亡き後を心配して親子心中、またわが子を殺すというようなこ
とがたびたび起こっていました。その中で、親御さんを気の毒に思う人たちが減刑請願運動などを起こす場合もありました。なるほど社会のサポートを受けられず(受けよ
うとしない場合もありますが)重度障がいのわが子を一人世話するとは大変なことでしょう。
しかし実はその運動はどこまでも障がい者の立場に立ったものではないこ
を、障がい当事者の方々が鋭く指摘されました。声なくして親に殺されたその障がい者の命はそんなに軽いのか?という問いが突きつけられました。
それは現在でも、胎
児の障害を調べるという出生前検診などの広がりを見ても、優生思想そのまま全く解決されていない問題だと言えます。
また、生まれてから家の中にいるしかなく、人と出会ったり、いろんなことを経験
することのできない障がい者が、家にいられなくなれば、施設へ行くしかない状況で
した。主体的に生きられない施設に、若いうちから喜んで入る人が多くいるでしょうか。
そんな苦しい生を余儀なくされているのが、いえ、生きることを閉ざされているの
が特に重度の障がい者のおかれた状況だったのです。それをひっくりかえしたのは障がい当事者の渾身の障害者自立運動でした。それに呼応して、地域で当たり前に障が
いある人が生きられるような状況を作りたいと、多くの人々が願い、共に創り出して
きたのです。